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金融危機がもたらすもの(1) イギリスからの報告(国際関係学科 教授:高 英求)

【2008年10月1日】

筆者は現在、スコットランドのグラスゴー大学に客員研究員として留学しています。イギリスにおける強い危機感を伝えたくて、このレポートを急いで書き上げました。今起こっていることについて考えるうえで、なんらかの参考になれば幸いです。

広がる危機感

世界的な金融恐慌が来るかもしれない。このような怯え(おびえ)が、徐々に広がっているようだ。 

いうまでもなく、発端はアメリカのサブプライムローンの破綻であったが、事態はとうに、アメリカの国内問題というレベルを超えてしまっている。

不思議なことに、日本では危機感が薄いが、アメリカとイギリスのメディアは、はっきりと「世界経済危機」(global economic crisis)、「恐慌」(panic)という言葉を使っている。

そればかりか、資本主義というシステムそのものが、転機を迎えようとしているのではないか、といった論調まで出てきている。ことは、もはや経済の領域だけでは収まらない気配である。

米英における、ここ十年以上にわたる空前の好景気が、実は単なるマネー・ゲームによる、実態なきものにすぎなかったのではないか、そしてそのツケが、怖ろしい厄災となって降りかかってくるのではないか、世界はこのままでいいのか、という思いを多くの人がもちはじめている。

教会が金融業界を批判

イギリスでは、宗教界が痛烈なシティ(ロンドンの国際金融界)批判をおこなって、話題となっている。イギリス国教会(Church of England)の最上席の聖職者であるカンタベリー大主教が、イギリスの有力雑誌(Spectator)のインタビューで、なんと、あのカール・マルクスの資本主義批判に賛意を示し、「銀行強盗」(bank robber)などの言葉を用いて、金融業界を批判したのである。

ところが、その直後に、イギリス国教会自体が、空売り(からうり)という金融投機を行ってきたことが暴露された。はしなくも、近年のマネー・ゲームが、一部の金融業者の暴走といったレベルではなく、宗教界を含む社会の広い範囲にわたる、根深い問題であることが明らかになったといってよいだろう。

変わる潮流

ともあれ、シティで資金運用しているイギリス国教会が、あえて金融界の批判に踏み切ったのは、やはり潮流の大きな変化を象徴的に告げるものと理解してよい。

すなわち、金融自由化から規制強化への転換である。

ここ30年ほどは、金融自由化の時代であった。1970年代以降に、アメリカで金融自由化が進み、1986年にはイギリスのシティでも、「ビッグ・バン」と呼ばれる劇的な自由化がおこなわれた。

この間に、金融にかんする規制は、なし崩し的に緩和・撤廃され、その潮流は、アメリカの主導下で世界中に波及した。もちろん日本もその例外ではない。さらには、途上国までもが、時期尚早の金融自由化を実質的に強いられてきたのである。

歴史は繰り返すのか

だが、この自由化の流れも、ここにきて転機を迎えている。

経済史をふりかえってみると、金融の自由化と規制強化が、ある種の振幅をもって繰り返されてきたことがわかる。

もともと、1960年代頃までは、ほかならぬアメリカ合衆国が、強力な金融規制をおこなっていた。その骨格は、世界大恐慌の最中に、ルーズベルト政権(1933年発足)によって、いわゆるニュー・ディール体制の一環として構築されたものだった。このとき、銀行と証券を分離する「グラス・スティーガル法」という重要な法律が制定されたが、こういった法律を骨抜きにしてきたのが近年の金融自由化だったのである。

大恐慌の時代を生きた、イギリスの経済学者のJ.M.ケインズは、ニューヨーク証券市場のあり方を批判して、金融市場を素人が近づける「カジノ」(賭場)にしてはならない、と論じた(『一般理論』[1936年])。マネーそのものがギャンブルの対象となる状況を憂えたのである。

戦後のブレトン・ウッズ体制においては、なんとかマネーは制御されていたものの、1970年代以降の金融自由化で、次第にマネー・ゲームがさかんになっていく。

そして、『一般理論』が出版されて、ちょうど50年後の1986年に、イギリスの政治経済学者スーザン・ストレンジが、『カジノ資本主義』(Casino Capitalism)と題した著書で、マネー・ゲームが横行する経済のあり方に鋭い警鐘を鳴らすことになる。

2008年10月1日

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