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昭和60年度 建築学科卒業 山田達也さん

【2005年10月1日】

「サツキとメイの家」は、時代をさかのぼる設計の旅だった

愛知万博の会場に再現された「サツキとメイの家」。
昭和30年代の暮らしぶりを伝える、この家の建築設計・監理を担当したのが山田さんです。
当時の材料と工法で「本物」をつくる”依頼”に応えた 山田さんの奮闘記をご紹介。

山田 達也 さん

中部大学工学部建築学科昭和60年度卒業。

独学で建築を学んだ安藤忠雄氏を崇拝する山田さんは「安藤忠雄建築研究所」にならって事務所名を決めた。

自分で納得のいく仕事を続けることができたらフルネームの事務所名にするという。

「山田」と「建築研究所」の間を空けているのは、そのときのための準備だと教えてくれた。

山田達也さん

他の仕事を断ってでもこれに専念する覚悟を決めた

今回の設計に携わることになった経緯をお聞かせください。

このプロジェクトのリーダーは、三鷹の森ジブリ美術館の館長である宮崎吾朗さんです。吾朗さんは宮崎駿監督の息子さんで、以前私が宮崎監督のアトリエやスタジオの設計を手掛けさせていただいたときに、造園・外構の設計を担当されていたのが吾朗さんで、何度か一緒に仕事をさせていただいている方です。 最初吾朗さんから建築の打診を受けたのが2003年の6月。見覚えのある家のスケッチを見せられ、「いくら、かかる?」と(笑)。

そのほかの具体的な要望は?

8月になってからですが、まずは2005年の3月に間に合わせること。そして、実写映画のセットではない「本物」をつくるということ。つまり、残り1年半で、当時の材料を使った在来工法で本当に住める家をつくろう、と。それも「となりのトトロ」の映画のイメージを損なうことのないように。

すごいプレッシャーですね。

ですから、正直自分がこのプロジェクトに参加していいのかと思いましたね。でもこんなチャンスはめったにない。木造の伝統工法の知識も十分ではないけど、一世一代、他の仕事を断ってでもこれに専念するべきだと決意しましたね。

それから設計に取りかかった?

ええ。それまで1回しか見ていなかった(苦笑)トトロの映画を何回も鑑賞し、関連本を見ていくうちに課題にあがったのが間取り図と外観デザインの整合性。たとえば屋根の勾配に合わせるための部屋の調整とか。映画の中の家と、実際の昭和初期に実在していた家とのすり合わせが、設計にあたって苦労した点ですね。

サツキとメイの家

万博閉幕後も現地での存続が決定した「サツキとメイの家」

かまど

手押しポンプのある炊事場。かまどでご飯を炊いて、使用感を確かめたとのこと

実在していてもおかしくないリアリティのある家づくり

その苦労をどうやって解消されたのですか。

今回、勉強も兼ねて小金井市にある江戸東京たてもの園に何度も足を運んだのですが、ここは昭和初期の家や建物が移築・復元されています。メジャー持参で寸法を測ったり、資料を得たりしました。それを繰り返すうちに、「サツキとメイの家」が当時に実在していてもおかしくない、違和感のないリアリティーのある家としてのイメージが、自分の中で膨らんでいったような気がします。

仕事が進行していくうえで、手応えを感じていったわけですね。

どんどん深みにはまっていく(笑)というか。裏を返せば、夢中になっていく実感地が増していきましたね。

素面が完成すると施工段階に移るわけですが・・・。

設計報告書の提出や役所への申請、交渉を経て、それから施工をしてくれる大工さんの手配、建設費の検討など、当初まるっきり白紙だった事柄に着手していきました。浩治の着工後は、ジブリさんの意向と現場の媒介を果たす監理業務が主でした。

現場での苦労というのは?

挫折しそうなくらいありました。「当時の工法で本物をつくる」という命題があるから、大工さんも現場常識の支店で疑問を投げかけてくる。そこで私が出した結論は、実際に存在していた家を探そう、でした。古い民家を尋ね歩いて”実証できる前例”があれば、大工さんも納得してくれますし、考証的にも問題はない。これは私にとっても大きな勉強になり、それ以上にうれしかったのは「妥協しない」という大工さんをはじめ、スタッフと共通意識のもとで仕事を進めることができたことです。

完成までの1年半、山田さんにとってどんな影響を及ぼしましたか。

いろんな面で勉強になったし、今回は自分の持ち味かもしれない「潤滑油」の役割が果たせたということでしょうか。大工さんやジブリさん、その他スタッフとの間で意向を伝えたり、問題を処理したり、試行錯誤の中で、仲介業務を全うできたと思います。ひとまわり成長できた1年半だったと言えますね。

エピローグ

温厚そうなキャラクターの印象を受ける一方で、胸の内には「妥協をしない」という情熱が秘められていることを、その話しぶりで感じることができました。「与えられるチャンスは何度もない。私たちの仕事は、世の中に二つとないその土地で、一生に1度しかない家を建てる施主さんを相手にする仕事ですから、妥協なんてできません」

Working File

草屋(ジブリ美術館アトリエ/2002年4月竣工)

「屋根に草を植えることはできないか」という宮崎駿監督の注文で始まった草屋の設計。「勾配のある屋根にどうやって土を載せるか、排水・耐久性の問題など数々工夫を凝らした建物」と当時を振り返る。「この仕事で、自分の今後の方向性が定まったように思う。自然と融合した建物として、もっと簡単で安価な屋根の緑化方法を模索していきたい」と山田さんは語った。

草屋

2階の窓上外壁に「草」の文字

草屋

野芝と雑草で覆った風情のある屋根

雑草

福島の休耕田を借りて仕入れた雑草

※中部大学同窓会誌桃園の夢Vol.54(2005年10月1日発行)より転載。

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