病室は私の教室

人文学部 コミュニケーション学科 鈴木彩子

  • 中華人民共和国(ハルビン理工大学中国語・中国文化プログラム)
  • 期間: 4カ月

病室は私の教室

「ニーハオ!」付き添い看護のおばさんにあいさつする。ハルビン理工大学留学中の二ヵ月に渡る入院生活は、毎朝このように始まった。ギブスで固められた左手はまったく動かせない。骨盤と左足も骨折、中国で、寝たきりの入院生活になった。私は転落の大けがをしたのだ。留学生活一ヵ月、言葉に慣れ、友達にも恵まれ充実した日々。ところが皆と出かけた初めての山登りで傾斜85度の崖から数メートル転落したらしい。記憶はまったくない。生きているのが奇跡だといわれた。

地獄の日々だった。くしゃみでさえ激痛がはしる。寝返りがうてず腰が痛くて眠れない。何よりも辛かったのがトイレだった。一人では用を足すこともできない。人間としてものすごく情けなかった。トイレが近くなる度に私はひそかに泣いていた。

日本から駆けつけた先生や親に強く帰国を勧められた。「帰りたくない、帰りたくない」と大きな声を張り上げ泣いて訴えた。寝たきりの入院でも中国に残りたかった。一度決意した留学をどうしても最後までやりとげたかった。帰ったら、もうルームメイト、友達、先生たちに会えない……。そう考えたらさみしさで身体が震え、涙が止まらなかった。たとえ病室でも学べることはたくさんあるはずだ。

お医者さんに日本語を教える

看護のおばさんとは24時間一緒。会話はすべて中国語。病室は私の中国語教室なのだ。また担当医師や看護婦さんは日本語を勉強していて、日本語を学びにやってきた。私が日本語を教え、彼らは中国語を教えてくれた。周りにいる全ての中国人が私の先生だった。看護のおばちゃんも掃除のおばちゃんもみな熱心に教えてくれた。同世代の看護婦さん達とは特に仲良しになった。勤務時間が終わってから病室に遊びに来ておしゃべりしたり、一緒にご飯を食べたりした。初めはただ辛いだけの入院生活。でもここに残ってがんばってみようと強く誓った日から、だんだん自分にとってとてもいい経験になると思うようになった。

退院後それを実感した。自分の足で用が足せ、自分の足で買い物をし、自分の足で教室に向かえるという当たり前のことがなんと素晴らしいことであるかを知った。幸福を感じた。「彩子はずっと休んでいたのに中国語の力がついたね」と最初の授業で言った先生の言葉が今でも忘れられない。

図書館が生活の中心

一番嬉しかったのは図書館に通えることだった。ここは課題に真剣に取組む学生であふれかえっている。しんと静まり返った中、鉛筆をはしらせる音と教科書をめくる音だけが聞こえる。学生たちからエネルギーを感じる。ここに来ると自然と勉強に燃えることができた。この学生たちの姿こそ私の目指すべきものだと思った。

毎日通っていると色々なことに気付く。多くのカップルが図書館で仲良く勉強しているのだ。中国の学生たちは全寮制。しかも大学の周りに遊ぶ場所が少なくお金のない学生たちは図書館でデートをする。ここ以外にも学校内で仲の良いカップルをよく目にした。日本の大学生には見られない光景で、その姿はとても新鮮だった。

私にとってもここはただ勉強するための場所ではなかった。たくさんの友達と出会いが生まれる場所だった。大抵、隣の席か向かい側の席に座った学生が、留学生だと分かると話し掛けてくれる。中には「こんにちわ」と日本語であいさつしてくれる子もいた。

そうやって知り合った友人に「日中戦争について日本ではどのように教えられるの?」と聞かれた。彼女は日本に対してあまり良い印象をもっていなかった。私は、戦争に関する知識もあまりない上に戦争に関する単語をまったく知らず答えられなかった。悔しくて、すぐに単語を調べた。戦争についてどのように学んだかと自分の意見を紙に書いてその子に渡した。彼女の返事にはこう書かれていた。「私とあなたは違う国土で育ち、異なる環境で育った。それぞれ違う要因が今の私とあなたを作った。この不思議な縁を大切にしていこう。日本のこと嫌いだったけどあなたと出会ってから好きになった、ありがとう」留学生活の中で一番うれしい言葉だった。彼女とは親友になり、メールのやりとりが続いている。もしも入院中帰国していたら彼女とも出会えなかっただろう。入院中の私を支えてくださったみなさんにこの場を借りてお礼が言いたい。「謝謝nimen!」

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