• ページの本文のみをプリントします。ブラウザの設定で「背景色とイメージを印刷する」設定にしてください。
  • ページ全体をプリントします。ブラウザの設定で「背景色とイメージを印刷する」設定にしてください。

GM破綻の衝撃(2) 岐路に立つガリバー企業のゆくえ(国際文化学科 教授:河内信幸)

【2009年6月11日】

GM破綻の背景

GMの世界販売のピークは、1978年の955万台であった。しかし、GM自体が企業買収を重ねて世界一の座に着いた経緯もあって、研究開発や設備投資で独自戦略を打ち出すのではなく、ヨーロッパでオペルやサーブを傘下におさめ、アジアで日本メーカーと提携することにより、苦手な小型車や中型車を補強してきた。1970年代の“オイルショック”に直面しても、生産性向上や新製品の開発は提携相手任せの状態にあり、GMは、生産体制の見直しで販売台数が落ち込むのを恐れるあまり、経営と財務の抜本的な改善に手をつけられなかった。

それでもGMは、1984年にトヨタとの合弁会社「NUMMI」を設立し、1980年代以降トヨタ方式を学んで経営改善にかなり努力したため、GMは、 1990年代前半までに製造コストや生産性の面で日本勢との差を詰めたといわれる。しかし、その努力も長続きしなかった。1990年代後半になると、原油価格が落ち着くとともに、アメリカ経済の拡大によって、燃費向上のための技術開発やハイブリッド車などのエコカーへの投資意欲が薄れ、収益率の高い大型ピックアップトラックなどを従来どおり経営の柱に据えてきた。そんなGMではあったが、世界的な自動車市場の拡大やアメリカ金融経済の肥大化を追い風に、 2007年までは何とか世界一の座を維持することはできた。

ところがGMは、2001年9月の“同時多発テロ”によって販売台数が落ち込んでも、基本的に生産を削減しない方針をとったために在庫が急増した。その結果、販売店へのインセンティヴの上乗せや値引き販売を激化させる悪循環に陥り、2005年までに企業収益は急減したため、過去の従業員の退職年金や医療費負担などが財務基盤を圧迫し続ける事態となり、社債の格付けが下がり、株価の低迷が著しくなった。そして、2008年に原油価格が急騰すると、GMは大型車の販売が激減し、財務体質への懸念が一挙に顕在化した。しかも、2008年9月の“リーマン・ショック”に始まる金融危機が実体経済を直撃し、「アメリカの夢」を象徴する自動車産業のトップGMまでも、破綻の“悪夢”に追い込んでしまったのである。

GM再生の鍵

GMの再生は、ハイブリッド車や電気自動車などの環境対応車の開発にかかっている。オバマ大統領は、2016年までに乗用車の平均燃費を、ガソリン1ガロン当たり39マイル(1リットル当たり約17キロ)とする燃費規制を発表し、GMを含む自動車産業に対して、21世紀の早い時期を目標に環境対応車の開発を強く要請した。

すでにGMは、プラグイン電気自動車の「シボレー・ボルト」を2010年に発売することを決めており、2012年までに14種類のハイブリッド車も投入すると発表した。さらにGMは、2014年までに65%の生産車を、植物から作ったバイオエタノールとガソリンの両方を使えるフレックス燃料車にする方針も打ち出している。しかし、環境技術の研究開発に自社だけで投資するのは大きな負担であり、先進諸国の新車市場が冷え込むなかで、収益性を蘇らせる事業再生への道程は決して平坦でない。 

2009年6月11日

ページの先頭へ