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金融危機がもたらすもの(2) イギリスからの報告(国際関係学科 教授:高 英求)

【2008年10月2日】

ふたたび規制強化へ

繰り返すが、猛威をふるった金融自由化にも、ここにきて終熄の気配が見える。

すでに見たように、英米のメディアの論調は、その変化を織り込んでいる。主要な新聞の見出しには、「現代金融史の転換点」(タイムズの社説、9月18日)などの言葉が見られる。シティの関心も、もはやこれが危機であるか否かではなく、危機の後に金融(そしてシティ)がどうなるのか、に移っている。規制の大幅な強化は、すでに大前提となっているようだ。

あのアメリカにおける銀行の国有化(資本注入)は、大きな驚きをもたらしたが、これを切望したのは他ならぬ金融界であった。恐慌(panic)を回避するためには、アメリカ政府による巨額の財政支出が不可欠である、ということはウォール・ストリートにおいてもシティにおいても、共通認識となっている。

とはいえ、これは、「私的」な自由経済における聖域ともいえる銀行に、「公的」な政府の手が入ることを意味する。もはや、これまでのように、ひたすら規制を逃れようとする姿勢は維持できなくなるだろう。税金が投入されれば、それだけ国民の視線は厳しくなるし、すでにアメリカでもイギリスでも、金融界への批判が吹き出している。

すでに見た、イギリスの宗教界による金融界批判は、もはや正統的な倫理規範からして、マネー・ゲームが看過できなくなった、ということを意味しているのだろう。ここでマネー・ゲームを批判しないようでは、宗教界は(アメリカ大統領選挙においても同じだが)、その倫理的な「正統性」を問われることになりかねない。そこまで事態は切迫している、ということなのではないか。

「倫理」の強化?

イギリスの新聞において、金融をもっと倫理的な基盤の上に据え直すべきだ、という論調が出てきているのが目を引く。

ひとたび危機が起こると、経済というものが、狭義の経済要因だけでは完結せず、もっと深く大きなものに支えられていることが明らかになる。社会全体で痛みを分かち合わなければならなくなると、倫理が大きな問題として立ち現れる。今回の危機においても、ことが倫理にかかわるからこそ、精神面を司る宗教界が、いち早く反応したのだといえよう。

だが、これから「倫理」の強化が本格化し、マネー・ゲームが封じ込められていくかどうかは、まだわからない。ほかならぬシティの中から「倫理」を説くバンカーがでてきたことは、逆に、「倫理」そのものを次なるマネー・ゲームの柱とする、という戦略の宣言だとも読めるからである。

日本の対応は?

日本における論調を見ると、いまだに従来の自由化路線への信頼感が強いようである。英米における金融・メディアのプロフェッショナルが、冷徹な眼をもって事態の成り行きを分析しているのとは対照的に、日本では、これまでの仕組みが持続してほしいという期待感しかないようにも思えてしまう。これでは、自由化と規制強化の振幅そのものをビジネスに利用する、欧米のリアリズムに対応していくのは難しいだろう。

日本で危機感が募るのは、これからであろう。昨今の日本の景気回復は、内需ではなく外需、とくに北米市場に依存するものであった。アメリカにおける消費の大幅な落ち込みは、日本の輸出に大打撃を与える。すでにその影響は出ているが、アメリカで本格的な消費の減退が起これば、衝撃は今の比ではあるまい。中国への輸出にしても、その少なからぬ部分が、最終製品の対米輸出のためのものであることを忘れてはならない。

危機が顕在化したときに、はじめて、北米頼みの輸出構造を見直し、アジアにおける経済連携を強化しようという気運が生まれるのだろうが、厄介なことに、そこには大きな政治的難問が立ちふさがっているのである。

[付記]
ここまで書いたところで、アメリカの下院が銀行救済法案を否決したというニュースが入ってきた(9月30日)。情勢は、ますます予断を許さなくなってきているが、現時点での情勢分析として、このレポートを読んでいただければ幸いである。なお、世界的な金融問題に興味のある方は、吾郷・佐野・柴田編著『現代経済学』(岩波書店、2008年)所収の拙稿(「世界経済と通貨・金融」)を参照されたい。

2008年10月2日

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