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インドネシアの日本語新聞『じゃかるた新聞』で1年間の勤務を終えて(特派員【卒業生】:草彅大貴)

【2017年3月22日】

※この記事に掲載の写真はすべて、じゃかるた新聞社より提供

近年若者の新聞離れが顕著だという。しかし、世界には現地に住む日本人のために日刊日本語新聞を発刊している新聞会社がまだいくつか存在する。その中でも現在、約1万8000人の日本人が在住し、約1700社の日系企業が活動する、経済成長が著しい世界最大のイスラム人口国のインドネシアの首都ジャカルタでは、1998年に発刊された『じゃかるた新聞』が、現地に暮らす日本人にインドネシア国内のニュースを毎朝届けている。

中部大学を卒業後に同社に就職し、ようやく一年が経った私は、今回ご縁があり、じゃかるた新聞社から刊行された、中部大学国際関係学部青木澄夫教授の書籍の編集に携わった。私のインドネシア経験と出版業務に関しての話も含め、ジャカルタでの1年間を振り返ることにした。

     

      

じゃかるた新聞社には、主に編集部(記者)と広告営業部の二つがあり、私は広告営業部に属している。広告の仕事は職種のデパートと言われるように、業種に関係なく様々な人がお客様だ。インドネシアに存在する日本人マーケットに関心のある企業やお店などに行き、新聞への広告掲載を提案し、交渉が成立すれば、広告のデザインをつくって掲載する。基本的にはこれが軸になる業務だが、他にも、新聞の配達管理や各種イベントでのプロモーション活動など、記事を書く以外の新聞社の業務はほとんど何でも行う。

大学時代に新聞は読んでいたが、新聞に関わる仕事をしたいほどの思いはなく、ましてや広告にはほとんど目を通していなかった。

ただ、学生時代にバングラデッシュでバッグを作るマザーハウスの山口絵理子さんを知り、一企業としてゼロから仕事を作り、利益を出しながら、それが国際協力の要素も含んでいるところに、漠然と自分もこんなことがしたいと思った。

しかし、何から始めて良いのかわからなかったので、自分が考えた中で一番それに近づけそうな場所で働いてみることにしたというのが、じゃかるた新聞社へ就職した理由である。

                        

日本よりも日本車率が高いインドネシアでは、自動車メーカーを筆頭に、ヤクルトや、大塚製薬のポカリスエット、マンダムなど、地方でも浸透しているほど、日系企業の商品が多数販売されている。

私のような、入社1年目の記者や営業マンが、そんな日系大企業のトップの人たちと直接会話する機会は意外にも多い。それは、インドネシアの日刊紙として『じゃかるた新聞』が、現地の日本人に親しまれているからだろうが、日本ではありえない話だ。さらに、若い社員が多いじゃかるた新聞を育ててあげようという温かい気持からか、クライアントから苦情や注文とともに、叱咤激励されることも数多い。

一方、インドネシアの企業がクライアントの場合は、ミーティングをドタキャンされたり、広告料金を支払ってくれなかったりと、日系企業相手では考えられないような問題がいろいろと発生する。しかし、一般論としてインドネシア人は、日本人に対してすごく好意的だ。「日本でお土産を買ったときの商品の包み紙がすごく可愛かったから、私たちもラッピングに力を入れようと思うのだがこれはどう思う」、「日本にコーヒーを輸出しようと思うが、これは日本人の口に合うだろうか」など、社会人1年目の社員ということはお構いなしに、日本人であるというだけでいろいろと相談される。

                  

今年の2月に、国際関係学部の青木教授が執筆し、インドネシアのバンドン市にあるパジャジャラン大学文化科学部日本語研究センターが翻訳を担当した、『INDONESIA DI MATA MASYARAKAT JEPANG DI HINDA BELANDA 100 TAHUN YANG LALU DALAM KARTU POS BERGAMBAR FOTO 日本人が見た100年前のインドネシア日本人社会と写真絵葉書』(日本語・インドネシア語併記)が、じゃかるた新聞社から出版された。

私はこの書籍の編集業務を担当したが、私は勿論のこと、会社としても本格的な出版は初めてだったこともあり、校正や印刷などすべてが後手に回ってしまった。それでも、青木教授やパジャジャラン大学の先生方には、限られた時間の中で夜遅くまで校正に付き合って頂き、やっと本書を刊行することができた。

同書の書店での販売は、3月下旬だが、『じゃかるた新聞』で出版記事を掲載して以来、現地の日系企業からは注文が相次いでいる。インドネシアの男性と結婚した豊田通商の女性の方は、「左ページが日本語、右ページがインドネシア語のこの本は、日本とインドネシアの懸け橋のようで、大変嬉しく思う。社内のみんなに配りたい。」と言って、30冊も購入してくださった。本書は、日本でも入手が可能で、3月末からアマゾンで販売されるので、ご関心のある方は購入していただければ嬉しい。

社会人1年目で、本書のように形に残る仕事を担当できたのは、幸運だったと思う。

      

私は、入学するまでは海外に行ったこともなく、大学で学ぶ必要があるのかもわからなかった。しかし、高校まで部活しかやってこなかった私にとって、1年次の国際関係学部での一つ一つの授業がとても刺激的だった。

1年生の春学期に青木教授の授業でじゃかるた新聞の話を聞いたから今があり、高教授の授業でゲストとして来てくれたウェストバージニアへ留学した先輩に憧れて、自分もアメリカに留学したい、とりあえず英語を勉強しようと思った。その結果、オハイオ大学とウェストバージニア大学に通算一年間留学することができた。

じゃかるた新聞社内の共通語は英語で、一歩外に出ればインドネシア語の世界である。日本語、英語、インドネシア語を駆使しながら一日が過ぎていく。

もっと早くからいろいろな本を読んで、英語を勉強しておけばよかったと思う事もあるが、大学からでも決して遅くない。今まで勉強してこなかったけど大学から頑張ろうという人にとっては、学習の環境が整っていて、自分が頑張りさえすれば、どんどんチャンスを掴んでいくことができる中部大学は、最適な場所ではないかと思う。

             

現在、「トビタテ留学JAPAN」を筆頭に、政府や民間からの支援を受けてお金がない学生でも海外で学べる制度があるいろいろと存在する。今年外務省のカケハシプロジェクトで後輩たちがアメリカ研修旅行に参加できたと聞いてとても嬉しく思う。

私は学生時代に「国際協力レポーター」に3回、「トビタテ留学JAPAN」に1回挑戦したが、いずれも駄目だった。しかし、一回落ちてもまた再チャレンジできるので、1回目は練習のつもりで早い段階で受けてみるのもありだと思う。

実はじゃかるた新聞社の就職試験だって一度落ちている。それでも、新聞広告に関してのレポートを付けて再度メールを送ってみたところ、東京でもう一度面接をしてくれることになったのだ。もちろんチャンスが1回限りの場合もあるが、再挑戦できるものに関しては、上手くいくまでやり続ければ良いのだと思う。

4月から2年目に入る。1年目よりもさらに良い仕事ができるように、挑戦しながら頑張っていこうと思っている。

 

 

                          

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